昨日は甲野先生の稽古場にお邪魔させていただいた。空気投げの田島先生、こいそ接骨院の小磯先生、NHK趣味どきっ!古武術にご出演の林先生と共に。

甲野先生の最新技を皆で受けたり稽古場に先生が接地した新しい遊具(鍛錬道具)で遊ぶなど。

武術の稽古は独特の時間が流れる。

私は、ただ観る。

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観るときは観る、に徹する。

集中するとき私は自然と姿勢が正される。機能を最大限動員させた身体感覚で観るためにそうなるのだろう。

動きを観る。

技というか何かを起こすのは一瞬の出来事である。そのうち、起こること(一瞬)の、その"前後"が見えてくる。

適切でバランスが整い完璧に近いものであればなにも見えないが、何かがズレたり適していないときには違和感を感じる。

その違和感を自分なりに分析する。

今回ははっきりとその前後に""あるいは""が見えた。自分が動く/踊る際にも、その"線や面"が先立って現れ、そこに従うだけでいられるとうまくいく。

技というもの。

まず、その"線や面"が出てくる身体調整が重要となる。

その次の段階は、その景色を消さずに自分がひとつで居続けること。

その次の段階は、ひとつの自分でいながら抵抗することなくエゴを出すことなく「従うこと」(従うだけ)ができるかどうか。

3つめの段階は、浅い時と深い時があり、深ければなにがあっても自分の"中心"に居続けられるのだが、浅いと物音が聞こえただけでそのモードは解けてしまう。

「従うこと」(従うだけ)ができるためには、私の感覚ではひたすらに「受け入れる・受け取る姿勢」を保つ。運動器としての身体ではなく感覚器としての身体でいることを保つ。それによって「委ねる」ことが可能になる。

私にとって「委ねる」という行為の半分は「身体感覚を受け入れる」であると思っている。それは「無償の愛で誰かを受け入れる」ときの感覚に近い。

だが分かっていても、実際それを表出させること、動きとして表現させられることはかなりの時間(練習)を必要とする。難しい世界だ。

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今回も甲野先生の御御足に触れ、分析させていただいた。

毎度発見があり深みが増していく。

やはりこの足は別格。

土台となる場所・基礎基盤が強くしなやかであることと地面とどんな関係を保てるか、意識の在り方がどうかで動き()は全く変わってくるわけで、「このような足でなければいくらコツ(肩甲骨がどうとか)という議論をしたところで何の意味もないのでは」と思ってしまう。

様々な一流の身体を見させていただいてこれは確信に近づいてきている。

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小磯先生は、こいそ接骨院でたびたびプライベートセミナーを開くなどしてお会いしており、足からつくる身体、そこから生まれる身体感覚や丹田・軸、そのバランスが動きとなった際にどう崩れるのか、また保つためにはどこに意識を向けると良いのかと指導し2年以上になるが、大きく体型も立ち方も動きの質も変わられた。謙虚な姿勢にいつも胸を打たれる。

今回魔女トレ初体験の田島先生と林先生には足首と足指のストレッチを施した。私が伝えたい身体感覚をその場で体験してもらうためのストレッチなので万人にそうするわけではない。その力加減は繋がるための強さと方向で行う。ストレッチの最中に当人に取り組んでもらうこともある。座り方(股関節の筋バランス)、肩の位置(肩甲骨・脇の下の筋バランス)、目線まで厳密に設定する。

それなりに悶絶しておられた(笑)

私「痛みは受け入れて、身体深くまで染み込ませて」

それを見ていた甲野先生は、ご自身の番になると、「その痛みを利用して新しいものにしたい(なりたい)」と言いながら魔女の手による圧を受け止めてくださった。

「いや、実際、かなり痛い。腹(肚だったのかな?)のあたりが溶炉のようだ。あぁ、肩が緩んできたなぁ。」

と実況中継してくださった。

自分の進化に余念がない人間はいつでもこう在るものなのだと思う。人の姿から新たなヒントを得て、自分の身体でも試す。

このような進化の止まらない甲野先生と同じ空間にいる、近くにいるだけでも身体には凄いことが起きる。

多くの方にお伝えしたいのは、人生で一度はこの方にお会いしておくべきではないか、ということ。(甲野先生のホームページからオープンクラスをご確認ください。都内や名古屋、浜松など。音楽家講座なども。)

天才と話すことや触れること。

天才が凄いのは、周りにいる人々に、各々の中にいる才能のスイッチを押してくれる。呼び覚まされるのだ。私の進化が加速しているのも、数々の天才や一流と触れ合っているからだと思う。

今回「剣鉈の原理」を剣鉈で直接用いて教えていただいた。

その時に沸いた身体感覚・モード・場所は、自分の中でかなり大きな発見だった。

道具によって発見する身体と感覚は、大きな拡張が起きる。道具は物でも人でも良い。

昨日の気づきから、今日は常にあの時の身体感覚を再現し、ずっとそのモードをで過ごしている。

軸が通ると全身にまとわりついている殻がパーン!と消え、光の線が身体を突き抜ける。つまりは身体が整う場所がそうなのだ。だから目の焦点が合い、頭も冴える。これが気づかぬうちに崩れていくから、集中力が保てなくなったり、気持ちが揺らぐことが増えたりするのだ。日々の意識づけと習慣を大事にしよう、と決意した。

これは決して特別なことではなく、些細なことだ。

些細なことだが、心・体・魂を一つにする、一つとなったところであるべき中心、その芯ある空気を纏う生き方ができるようになる気がする。

この光の通った身体はバレエを習っていた中学生頃には感覚として持っていたのだが、とても限定的だったし、なかなかその場面以外では用いることができず汎用性が低かった。

今回明確に理解できたことで保ちやすくなった。

あらためて甲野先生に感謝。

よく、「人生を上手く生きる人はONOFFの切り替えが上手い」という。

私の中でそれは修行の態度ではない。

求める姿に近づくためなら、四六時中そのための僅かな礎を積み重ねる。

この行為は決して苦しいものではなく、気持ちよく、幸せである。私はそうでありたかった。だから自分なりの在り方をまた一つ見つけられたようで嬉しい。

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田島先生と林先生、それぞれ身体に起きた大きな変化に驚かれていた。

私は自分が見えたものをただただ伝えたくなる。それも一ミリの狂いなく「これ!!」というものを精度高く明確に。

「情報の量と深さがすごい」と評された。

我ながら効果の大きさに驚き、嬉しくなった。指導者冥利に尽きる。

しかしこれらは、日々求めている人、日々身体と向き合っている人、純粋で素直な人にこそより深く身体に浸透させる変化を起こせるというものなので、半分以上は受け手の問題。私はきっかけでしかない。

はじまり・前提を変えること。

私はいつもそこに興味があるし、そこまで掘り下げて分析する。それは身体のみならず精神も同じ。

探究のベクトルは人にもそうだが、自分にも向けてきた。思えば、人生のほとんどをその分析に費やしてきた。そしてそれは何度も自分自身を追い詰めることになっていった経験を経たが、それを今、人や社会に生かすことになれている。その真っ只中にある。

将来を悩む多くの方に希望を与えたい。「信じて突き進んで!信念を持って。大丈夫だから!」と大声で伝えたい。

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甲野先生の稽古場では食事も振る舞っていただいた。(甲野先生の手作り)

先生の稽古場にある物、所作全てに丁寧に丁寧に生きている、念の込もったものを感じ感動しきりだった。

気迫を映した年輪を感じさせるものたちはこの現代社会では稀なもの。

今回また深い話沢山聞かせていただき、私はそこから、その年輪はその場にいた私達にも続いている""があることに気づかせていただいた。

甲野先生、ご一緒くださった皆様、あらゆるものに、感謝いたします。ありがとうございました。

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空気投げ 田島先生のツイートより:

甲野先生の稽古会。

魔女トレの西園さんゲストの稽古会になったが魔女の魔法で私の体の性能が1段階上がった。足裏の接地から浮き沈み、開く閉じる。ここ最近の課題が一気に解消してしまった。魔女の魔法が凄いのは自力で出来るように指導してくれるところ。これは解けない魔法だ。

西園さんの魔法がかかる前から体捌きで剣をあげるやり方がわかってそれなり以上の効果を実感していたが同じ動作をするにも魔法で変わった体でやるとより剣が勝手に上がるように感じる。道場にある太い木刀に持ち変えても重さが気にならない。体術の斬り込み入り身も激変した。

ダンサーでもある西園さんが今回私にかけた魔法はバレエの身体操作だとのこと。土台となる足を整えてから、螺旋状に中心を引き上げる力の入れ方を教わった。上手く出来ると背骨に上向きの力がかかり続けているような感覚になる。浮きつつ沈む状態。木刀は浮きで上げて沈みでおろす。

NHK趣味どきっ!の講師で出演中の林さんと。体重を載せた手をあげる辰巳返しで難易度の高い手首より先を持たれた形に私が苦戦していた。それを見た西園さんがくれた『首はこっち』という一言アドバイスに従うと嘘のようにやり易くなった。嘘でしょ!?

甲野先生は先生で自分で自分に魔法をかけられるのでこちらも進化が止まらない。段取りが9割の剣鉈の原理が鋭さを増し、払えない突きは先生の腕が伸びてくる前に払いに行っても体ごと弾き返される威力になった。手と反対側の肩から何かが発射されると言うこれは影観法とも言える。

浮きについて。バレエの身体操作から得た感覚で先生の『足裏返し』をやると膝を強打しなくなった。体の差し替えもスムーズになり進展を自覚できた。しかし先生の太刀奪りはレベルが違う。振り下ろされる剣をどこも力まないまますっと避ける。良いとわかっても真似できない。

1人ゲストが来られず残念だったが、得たものは大きい。浮きの身体操作に初めて明確な基準ができた。この基準に任せると体は軽くなり技は重くなる。稽古後は西園さんの話をきっかけに甲野先生から普段聞けない話も飛び出すなど、多方面からの刺激に悶絶しながらの帰宅となった。

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私は幼い頃から危うさと不安定さを自覚し、孤独ばかり感じていた。

魔女となってもやはり孤独で、孤高でいるしかないと強がっていたのだが、ここへきてご縁が繋がる方々、新しい世界への扉を開かせてくださる方々、寄り添ってくださる方々に出逢っている。

我が身の不思議さ、儚さの中の豊かさを想う。