日曜日の今日は姉が家族ぐるみのお付き合いをしている方々と過ごしました。

パパはドイツ人。
ママは日本とドイツのハーフで、

元ダンサー!

というわけでこちらのダンス活動について少し話を聞くことができました。

ダンサーとして、ばりばりがっつり稼いでいたわけではなく

ダンサーをしながら大学にも通って通訳もしていたそうです。

(・・・凄い)

私のお姉ちゃんて、、、

「アクティブな人らは大抵友達。」
※悪いヤツらは大抵友達、的な。

まさに類は友を呼ぶ。


さて少し話は変わり

姉の友達の方との話の中で私が感じたことを書きます。(彼女のことを以後Sさんと呼びます。)

Sさん、日本にいる18年間は、ハーフということでいろいろと言われてきたことがあるそうです。

「その顔、、ハーフ?!」
「お人形さんみたーい♡」

やはり私たち日本人は島国気質、文化的背景と習慣から、悪気はないし傷つけるつもりはないし、むしろうらやましさからの褒め言葉を投げかけているつもりでも

無知識に

“違うことで特別扱い”
“違うことでまず壁をつくる”

ということを行っていて、そうした言葉を言われる側は大きな違和感を感じるのだそうです。

そんなSさんの日本でのストレスは、ドイツに来てそれらが解消されたそうです。

なぜなら、こっちでは違うことは当たり前。

私もこっちへきて驚くのはとにかく人種の多様さ。

ドイツでは人口の10分の1が移民なのだそうです。

私たち日本人は、小さく繊細な比較が得意であるけれど、

それは時に視野の狭さや世界観の狭さ、また違いを受け入れる度量の小ささにも関係してくるのかも、と思った次第です。

日本で私は小さな気質の違いをあれこれ述べていましたが、こっちではそんなことは小さ過ぎて話にならないなと思いました。

もっと大きくなろっと!

私の目論見として、いろんな価値観や感覚を得て、でっかくなって帰りたいなと思ってます


さて、ダンスの話に戻ります。

Sさんが言うには

「自分が長くダンサーとして活動してこれたのは、言われたことはやる方だったっていう、ある意味振付家との信頼関係があったからかな。」

と。

そういう部分ももちろん大切ですよね。

ダンスの世界の華やかばかりではない部分の話も聞きました。

こちらではダンサーが職業として認知されているとはいえ、やはりこちらの方々の感覚で成り立っているわけで、日本人のように「基本的に言ったことを守る・約束は破らない」という感覚でいると面くらうという感じでした。払うと言われたお給料が払われないとか。

これは日本でも同じだと思いますが

そういう世界だとして、そこで生きるにはどんな力が必要かというと

「問題が起きたり意見を述べる必要がある時に自己主張ができる力」

「自分で問題を解決しにいき、そして出たことに納得するという力」。

今の私、、、

皆無~~

今の私には日本語であっても自分で問題を解決させていく力も意思もありません。英語ならなおさら。ならば、

このままだと生きていけない・・・

というわけで英語を勉強への意欲が増したのでした

ここ数日の私を見て姉は


「そんなんじゃ勝てっこないと思うよ」

と言います。(姉はダンサーではないですが)

これは言葉の問題のみならず、私の態度や姿勢、意気込みすべてにおいての姉の意見です。

うん。
まぁそうだろうとは思います。

少しずつでも自分のペースをつかむべく、努力していこうと思います。