岡山へ向かっています。

 

 

昨日は一年ぶりにスパイラルパーマをかけ、ここ数年で一番の出来映えかも?と思えるくるくる感にテンションが上がりました。

 

いつも舞台前には願掛け掃除をします。昨夜は願掛け掃除が思いの外時間がかかってしまいました。

 

でも今朝、綺麗ですっきりした部屋に行ってきます!と言えたので、気分が良いです。

 

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ここ数ヵ月、寝起きの三点倒立が習慣化して、身体感覚が大きく変わりました。

 

あらゆることが変わったので具体的な詳細は割愛しますが、今のところ良い効果しかないです。

 

自分が長年感じていた弱点だったり、年齢と共に衰えていたものが活性化していく心地がします。

 

三点倒立の良いところは、足は二本ですが頭は一つなので背骨にダイレクトに繋がって、弱いところから歪み、捻れ、崩れるため、「ココ弱いよ」「ココ硬いよ」と身体が教えてくれます。

 

あるとき三点倒立をしていて、内臓の奥の方でなにかが剥がれるような心地がしました。体幹が弱くなってくると本来あるべき内臓の位置から下に下がり、腸が圧迫され骨盤が開き、それによりホルモンバランスが崩れるなど様々な悪影響があるといいます。何がが剥がれたときは、「そうだ、すっきりしてるってこういう感覚だった!」と思い出せたし、腕も脚も動かしやすくなりました。

 

調子が良いときは軸が背中にあり、身体が薄っぺらい感覚になります。胸やお腹に緊張があるとそっちに引っ張られてしまいますが、内臓から変えていくとインナーマッスルにも直結しているでしょうから、その変化は大きいなと思いました。

 

三点倒立は私にとって身体を整える重要なルーティーンになっています。

 

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10/5(金)、恩師であった折田克子先生がお亡くなりになりました。

 

克子先生との出会いは本当に運命の巡り合わせともいえるものでした。

 

克子先生には踊りのこと、身体のこと、個性のこと、生き方のこと、本当に様々なものを教わりました。

 

克子先生の作品には「カナリア抄」「梟の杜」「体ーtaiー」(「体」は2度)に出演させていただきました。

 

クラシックバレエから始めた私なので現代舞踊の世界に師匠や教室や人脈がほぼないに等しかったわけですが、ハイレベルのダンサーの方々とも知り合う事となり、踊りの世界にどんどん魅力されていきました。踊ることがいのちの根源、生命力の源であることを学びました。(見出だされた、というか)

 

克子先生は身体を芯から・足から鍛えることの大切さをひたすら強調されていて、時間はかかりましたがその意味を理解するに至ったのは先生の厳しい指導のお陰です。

 

葬儀では、恥ずかしいくらいずっと涙が止まりませんでした。棺の中でも克子先生はとても美しかった。

 

今ごろみどり先生(お母様)と一緒に踊られているのかなと思います。

克子先生、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

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踊るということはなんなのか。

死と向き合うとき、年齢を重ねた今、また一段深く感じ入るものがあります。

様々な舞台や振付家、人生経験を経ての今、

 

踊るとか

鍛えるとか

表現するとか

 

これまで頭で考えてそれらを分けていました。分けずにはおれず…納得したいがために。

 

カテゴライズが好きな人間は、その狭間にある曖昧さや中庸、"無"を知り得ないのではないか…その"無"の瞬間や儚さこそ美しさなんじゃないかなと、最近は思います。

少しずつ、鍛えてきたものが力を得て、必要のない力みをとれるようになってきたのかもしれません。

 

私はある"モード"に入ってゆくと、細く狭く繊細な場所を、綱渡りするように偏らず居つかず、恐る恐る歩みを進めるような心地になります。

 

この感覚に入り込めるときは、たぶん良い調子。大切な感覚なんじゃないかなと思っています。

 

日々、身体は変わります。感覚も変わります。

 

本番へ向けていろいろな反応がありますが、今回も舞台本番一週間前の体調不良がちゃんと来ました。(たいてい腹痛もしくはメンタルの落ち込み)

 

今回はメンタルに来ました。(でもそんなときにTwitterに載せた足指ワークがすごい反響に)

 

食欲も落ちていきます。身体が集中しよとしているのかもしれません。

これらは意思や意識でのコントロールは出来ないんですよね。

でも身体はちゃんと分かっている。準備をしているのが分かります。

本番に向けてちゃんと上がってくる自分の身体を偉いなぁと思います。

あとは、自分の身体を信じるのみです。

 

去年は季節外れの台風で屋内開催でしたが、

今年は晴れるようです。

 

 

私の身体はどこまで広がるだろう。

 

どんなことを感じるのだろう。

 

見ている人には何が伝わるだろう。

 

 

生きていること、踊れる幸せを噛み締めながら、「西園美彌」を発揮してきたいと思います。