7/21、実家福岡にて祖父(7回忌)、祖母(17回忌)、父(33回忌)の法事が執り行われました。

福岡在住の親戚と関西・関東(私は茨城/つくば)・海外(姉はドイツ/ミュンヘン)から親族親戚が集まりました。

 

法事などの行事に対する意識、金銭面でのことからもどんどん若者離れが起こっているというお坊さんのお話がありました。このような場の役割、意味として「集まって亡くなった方々を敬ったり、命の大切さを考えたり、死のことを感じたり、普段会えない人が集まり話ができる」というものがあると。そうだなぁ、大事なことだなと思いました。きっと面倒なこともあるのだろうけれど。

今回10年以上ぶりに会う親戚もおり、昔は見えてこなかった部分や知らなかった部分、人と人との関係性、個性や価値観、九州・福岡の環境や人柄や時間の流れ、、以前とまた違う感覚がありました。

2個上の姉、同い年の従兄弟、それぞれ2人ずつ子宝に恵まれ大変ながら幸せそうに生きている様子。おじさんおばさんたちも、私の親戚は皆面白く、活発で聡明。私はひとり、我が道を行く者として少し浮いてるような気持ちになりながら、「美彌ちゃんどげんしようね〜?なんか頑張りよるみたいやね〜!」とみんなから凄い凄いと言われ、、一方で「美彌ちゃん彼氏は?」「いつ結婚するとね?!」はもう言われなくなりました(笑)

「みんなそれぞれ、生き方があるけんね」

自分の生きる道とは。自分の役割とは。

一つのことを追求してきて、価値観や在り方を提案する、できるところまで来たようにも感じながらも、満ちることのない部分は常にあるもの。そういうものがあることを認めつつ、埋める努力を常にしていかなければならないのだろうなと思いました。

自分の血筋に感謝と誇りを持ち、これからも強く生きていきたいという思いになりました。

 

 

美彌、頑張るけん。見とってね。