ちょうど10年前の2008年に大学院の授業でつくったパワポが出てきました。

「ダンサーと三段跳びの陸上選手が"グランパディシャ"を跳んだらどう違うのか?」という題目を班の4人でつくりました。

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スポーツバイオメカニクスとは運動力学で、ダンサーや競技者が感覚的に把握していることを数字に表し、技術向上や指導者が見るべき視点を提案していくことに貢献している分野です。

こうして今はダンサー、指導者として活動している私ですが、10年前は研究室にこもりっきりでした。

バイメカ研では文章力も鍛えられたと思います。データも用語も曖昧な表現が一切許されない理系の分野。バレエやダンスの世界を紹介するのに苦労しました。研究室では現場では分かりきっているような小さなことを延々と調べ数字に向かう毎日。プログラミング書けなかったし向かないと思ったので卒業しましたが大切な期間だったと思います。

私はこうした研究現場から離脱してしまいましたが、先のコンテンポラリーダンスのnews然り、ダンス系競技の指導法の問題も、こうした知見の蓄積が少なく偏った意見しか出回らず曖昧なままでは理解してもらえないから、社会の中でダンスやダンサーへの理解が広まっていかないのではと思います。

 

トップアスリート、その中でも本物の選手の動きはどれも芸術です。これを理解できるまでは私もただダラダラやっているようにしか見えませんでしたが、今なら分かります。彼らは究極にリラックスしていて、それが可能になるような身体の使い方とトレーニングをしているんです。

 

天才ダンサーも同じことがいえます。高い技術、しかも表現動作が日常動作に近いものならば、それがあまりに自然すぎて見過ごされたり、派手さがキャッチーだったりすることでそちらばかりがもてはやされ、本物が埋もれてしまうことが多々あります。

また曖昧であることの美学から文字に起こせなかったり、人々に豊かさや癒しあるいは感覚的に触れてもらいたいがゆえにダンサーが自身のこと、作品について語ることを拒む傾向もあります。

(三東瑠璃振付「みづうみ」より photo by bozzo、dancer 森田裕稀  西園美彌)

一方で一般人向けにコンテンポラリーダンスや表現の世界の認知度を少しでも上げるべく、身近に感じてほしいというコンセプトで「ほら、表現ってこんなに簡単!みんながアーティスト!」といったワークショップが広く行われています。それが前者と隔たりがあり、通り過ぎる経験に留まり、深みに繋がっていかない切なさを抱いてしまいます。

ダンスへの理解は舞台や劇場に観客を呼ぶことに繋がります。そしてそれがダンサー振付家アーティストその他関係者を育てることに発展していきます。まずは認知されなければならないと思います。

ダンスを感覚的に見ることのできなかった私は、教えて欲しい、説明があればいいのに、と思っていました。今になってやっと、様々な振付家のもとでそのこだわりを身をもって体験・共有し、感性が解放されたのか、感じることを楽しめるようになってきました。
音楽の世界でも音楽の聴き方や歴史を解説する舞台も増えているようです。しかし音楽関係者がそれに批判めいた言葉を投げかけているのを見ると、いろんな人がいるわけなので、難しいなぁと思いました。

メソッドが確立されにくく、好みも分かれていて、氾濫している現状もあるダンスの世界。

私のスポーツ界への指導者としての進出も、ダンサーとしては顰蹙(ひんしゅく)を買うのではと恐々してるのが正直なところで・・・

でも自分の特技を生かしていくことで人の役に立ち、自分の身体能力も芸術性も上げていけたらと勇気を出して一歩を踏み出しています。

 

・本物を理解できる人を増やすこと
・ダンスを理解してくれる人を増やすこと
・ダンサーの生態、価値を知ってもらうこと
・多くの人に自分の身体の声を聞けるようになってもらうこと
・曖昧なことを文字にしてみること

 

私にできることとは。
ダンサーで研究者、指導者。
ただ踊れるだけで終わりたくない。