1月末に出演した舞台、その本番直前(2日前)に書いていたメモ。

正しい知識と理想の動きは知っておくと動きをよくしたい人にとって効率的に学べる
でも現実はそう簡単なもんじゃないんだよね
時には理論なんてくそ食らえって思うこともある
正論ばっか述べて、本人の気持ちを想像してるの?!と


ソロやデュオを任されているソリストの人たちは私が休んでいる間も練習している
しかも自主練ではなく振付家に見られる中での練習は緊張感もあり体力も精神力も費やされる
自分がその役に選ばれなかった悔しさは実はもうなくなってしまった
2年前はあったのに
なぜ私じゃない?どうして?という疑問は自分のダメな部分にばかり焦点を当ててしまっていた
いまはできることとできないことがあることを受け入れた
なにか吹っ切れた心地がしている

やるべきことをやる
与えられたパートを全うする
ユニゾン(全員で踊るパート)のセンターについていた
そこでみんなを引っ張ること


乱数(呼ばれる無作為に並んだ数を覚えるパート)で三角の一番前にいる私は絶対に間違えられない
対の位置にいる仲間とプレッシャーを共有し合った彼女とは30オーバー同士、この集団においての自分の役割、立ち位置、見えているものが近いことから、追い込まれてきた時期には涙を浮かべて何度もハグし合った


私は今が一番身体が動く
踊りのこと、作品との関わり方、なにより自分自身のことを人生の中で一番よく理解し、信頼できるようになった
身体の強さは心の強さに比例すると思う
キツい、苦しい、痛い、その状況下で守りに入らず身体をプッシュできること
これまではそれが出来なかった
でも今やっとできる気がしてきた

足の裏の皮は剥がれ、周りの筋肉は伸びることが出来ずつっぱり、固まり、ふくらはぎの外側が張っているし、上半身の緊張を生んでいる
全身の疲れで腰が痛む
しかしそこで股関節の機能が発揮されてきた
なるほど、これが股関節の役割なのだ、と

自分を癒そうとTwitterに流れてくるアスリートの美しい映像を何度も見た
分析を試みた際、いつものようにただ見る、をするとその選手のポイントが見えてくるのだが、自分を無にせず、「自分の身体感覚で見る」ことをすると、全く違った見えかたになった
なるほど、これが、一般の人達の見方なのだろうと思った
無、でなければならない
「ただ、見ればいいのよ」…恩師が私へ何度も言っていた言葉の意味が分かった瞬間だった
自分がそこに在る、けれど我があってはならないのだ

コンビニで買ったものをリュックに入れて背負ったら足の裏の痛みが増した
そうだよなぁ、重くなったもんな
…そうか、痛い=圧をかけることができている(身体が良い位置にある、地面を押せている)わけだから、これを利用して痛みの増す方向に向かおう、と思った

熱が出てきた
かーっと熱くなってはすーっと引いていく
私の身体はそれを何度も繰り返していた
きっと菌と闘っているのだ
体調が悪いとき、私は良い踊りをする
偉いぞ、私
全身の熱さが足裏の痛みを軽減させてくれていた

…………………………

私の記録。
その時その時、素直に感じていたことは大切にしたい。

脱皮した後の抜け殻のようなものでも、その姿は美しいと思いたい。