偉人や一流のスポーツ選手、その多くは、才能が幼少期から抜きん出ているものです。しかしながらその才能が伸びるためには、親が気づき、幼少期に伸ばしてあげていることがとても重要であるといいます。
私は自分のことを凄い人間だとか一流の人間だなんて全く思っていませんが、でもなんとなく人と少し違うなと思っている部分があります。
今の社会や私が向き合う人々にとって、西園美彌という個性がなにか良い影響を与えることができるかもしれないという小さな"使命感"がなぜかあって・・・
それゆえに私はこうして自分なりの方法で【生き方】を表現しているのだと思います。
私がこのような人間に成るに至った経緯。そこには母の存在と、母の育て方があります。
母の日によせて・・・私の母のことを書こうと思います。
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母は直感力や洞察力に優れた人です。
父が亡くなったのは私が2歳半のとき。それ以来、母は女手一つで私と姉を育ててくれました。
母の願いは、
「なにか一つでも、"誰にも負けないもの""自信が持てるもの"を身につけさせたい」
というものでした。
「英語の人になる!」と5歳で言った姉には語学を与え、姉は国際結婚をしてドイツで暮らしています。幼少期から運動神経の良かった私には運動・スポーツ、音楽、バレエを与え、私はダンサーになりました。
「この子は何に向いているだろうか」
夫が亡くなるという予想だにしない出来事、私2歳、姉4歳というタイミング。母はその洞察力と直感で私たちに環境を用意する知恵と努力を惜しまなかった。(私の想像ですが)
私と姉の二人共が自分の道を見つけ歩んでこれたのは母の背中があったからだと思います。父の厳しさと母の優しさの両方を担い、試行錯誤をしながら子供を守り育てた我が母の強さは計り知れません。
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人間の「感性」には先天的なものと後天的なものがあります。
母は私の「なんでも吸収したい」「動きたい」「自分を知りたい」という先天的な本能を引き延ばしながら、
「人の迷惑にならないこと」「努力をすること」「認め合うこと」「品格」を躾けてくれたと思っています。
後天的な要素、つまり躾や教育は、ある意味その人の持つ本来の能力を押し込めることもあるかもしれない。けれど正しく向き合い続ければ、ちゃんと先天的な感性も後天的な感性もどちらも伸びるものなのだろうと、そう今なら思えます。
「ちゃんと自分の足で立って歩ける人間に、自立した人間に」という信念のもとで育った私。これは私の教育理念にも通じています。
母は私の大学受験も、ドイツ留学も、ダンサーとしての生き方も、「美彌には無理だと思っていた」らしいです。でも母は「手を出さない、何も言わない、自己責任でさせる」ということに徹していました。・・・まさしく慈悲の心。
反抗期が始まったあとは私は私で母に意見を求めることも相談することもなくいつも1人で決めていて・・・それはある意味強さでもありますが社会人としては欠点だらけです。
でもそこは私が自分で失敗しながら学んでいけばいいことであって、【核】となる部分をつくってくれた母には、感謝しかありません。
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「みやちゃんは偉いね。自分で指をチュッチュするの(指を加える癖、美彌6歳)、直したんだもんね。」
「ほら、一番星だよ。お父さんが見てるよ。おなたたちにはお父さんがいつも見守ってくれているからね。」
「あなたは本当に運がいいの。」
「あなたは品があるの。」
「貧乏というのはね、食べ物も食べられない人のことをいうの。だからうちは貧乏じゃない。」
「高校受験に失敗しても、大丈夫。お母さんがあなたを守るから。」
「あなたは努力が報われる人間なの。努力をしても報われない人もいるけれど、あなたは努力をすれば必ず運が味方してくれる。」
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「優しい嘘」を経た今、私の解釈、母に対する過去の思い出や記憶の整理が起こっています。
しかしながら私がこのような考え方に至るまでには長い月日がかかりました。
私たち母娘の関係は、私が反抗期に入った高校生から15年以上もの間(つまり今のところ人生の半分)、大きな溝がありました。
似た者同士。頑固過ぎ。意思疎通を図ることが下手過ぎ。いつも姉が緩衝材。
家族との不和による欲求を埋めるがごとく外に人を求めダンスに仕事にと邁進していたのは否めません。
頑張ることも頑張らなければ生きていけないことも母との関係がゆえに構築された私の性質だと、、、今はそのように感じています。
ある人に私の母との関係を話した時、「あなたとお母さんは愛情が深過ぎるのね」と言われたことがあります。
そう言われた時、確かに私は反抗期が来る前はとにかくお母さんのために頑張っていた、お母さん褒められたい一心で生きていたと思い出しました。
またその方はこの写真を見て「うふふ、お母さんが大好き!って顔してる」、とも。
― そうなのか。私は、お母さんが大好きなのか ―
自分の感情の解釈の間違いを、その人が教えてくれました。2017年1月1日のことです。
実はドイツにいたとき(2年前)も、帰国した去年(半年前)も、私と母との関係は修復どころか悪化の一途をたどっているように思えました。もう諦めるしかないのか、と。
でも「あなたとお母さんの関係は、必ず良くなるから、大丈夫。信じて待てばいい。」とそう言われて、また私自身も自分を乗り越えなければと思い、「優しい嘘」に取り組む決意をしました。
結果として、私は講演会で、あの公の場で、母への想いを口に出せて、自分の人生においての重要な転換点になったのではと思っています。
新しい歯車が動き出したら何が起こるかというと、
過去の記憶、忘れていた表情が次々に出て来て、自分がどれだけ子供だったか、私の中に"母"どれだけたくさんいるかということを気づく頻度が増えていきました。・・・これは「受け入れる」準備ができてきた証拠だと解釈しています。
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母に贈った花が、昨日届いたようでした。
「お花届いた
ありがとう!
美彌が居るみたいな花
嬉しかったよ
眺めながら貴方の活躍を祈ってます」
・・・このメールを読んで、不覚にも、涙が溢れてきてしまって。
大好きなピンクのカーネーションを贈りました。
(母から送られてきた写メ。顔は隠しておきました笑)
お母さん、ありがとう。
お母さんが私に与えてくれたものは、しっかりと身につけて育っています。
お母さんの大きな愛情が、私の今の《すべての人々に注いでいる愛情》の原点です。
バレエを与えてくれてありがとう。
好きなことを突き進む道を支えてくれてありがとう。
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・・・ちょっと書き過ぎたかな笑
人生何が起こるか、分からないもの。
振り返った時、楽しかったなと思える人生にしたい。
私たち親子の関係はまだまだ課題がたくさん。母の変化を望むのではなく、私が変化すること。そして待つこと。お父さんがいつも見てくれているから、きっと、大丈夫。変化し成長していく自分でありたいと願う。