こんなこと、私の舞台出演など人々の記憶が消えるのに任せてわざわざ報告しなくたっていいのでしょうが、先日「合格通知が来ました!」を公表してしまったこともあり、それに対して楽しみにしてくれている方々がいてコメントくださっていたこともあり、今回の合格取り消しについてを書くことにしました。
決してこれは主催者や振付家の方々への批判ではありません。
落ち度は完全に自分にあります。
こんな世界があるということ、ダンサーである自分が感じていること、踊りの世界というものを少しでもお伝えできれば、という気持ちで書きました。
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まず私はオーディションの時点で20人が採用されるうちの20番目でした(振付家からそう説明されました)。
オーディションに受かりたくて、また振付家の求めるものや世界観を学ぼうと思って、オーディションのためのワークショップをすべて受講しました。
オーディション当日、「呼ばれた方は面接を受けてください。」(つまり実技審査から最終審査へ)という面接に呼ばれたのですが、そのときに言われた言葉は
『なにかもうすでに自分の世界がある方なのかという気がしていますが・・・』
―振付家は、自分の世界を作り上げたいのです。その協力者、一緒の船に乗れそうな仲間、協調性のある人間を求めるものです。
「もうすでに自分の世界が」・・・つまり、西園美彌というダンサーは、「振付家の求めるものとは違う方向に向かっていこうとしているのが振付家としてちょっと扱いづらい。新しい発想や突飛なことを求めているのではなく、同じ方向性で一緒にやっていけそうかどうかというところでちょっと難しいところにいる。」ということ。
・・・「歳を重ねている大学院生よりも若くてまだ染まっていない大学生・新卒の方を会社は求める」と似たものがダンスの世界でもいえるようです。
私はショックでした。自分としては、そこ(振付家に寄り添えること、協調性があること)が自分には足りないと感じていて、余計にそんな自分を直すように努めていたつもりだったからです。できていると過信はしていませんでしたが、どこかで過信していたのかなと、今となっては思います。いつも私の行動は足りてない。甘い。
直す・努める、その思いとは裏腹につい出てしまう自分の個性や自分の身体が感じる方向性というものがあって、それがワークショップやオーディションで出ていたのだと思います。ワークショップを受けていた私は、新しい身体の気づきもあれば、今の年齢で出来上がった自分のペースというものを感じたりなどがあって、とても有意義に感じていたのですが、振付家の求めるものがあってこそのこの世界で、なにを楽しんでいるのだと、この結果を受け、大いに反省しました。
【振付家の求めているものをいち早くキャッチする、振付家と寄り添う姿勢】
・・・これはダンサーとして必要な能力の一つだと思います。振付家によってそれはさまざまです。個性を重視する人もいれば、正しさやまとまり感を求める人もいる。つまり、与えられた振付を自分のものにして個性的にアピールしてくるダンサーを求める振付家もいれば、与えられた振付についてその質感・軌道・細かな手足のポジションの正確さを求める振付家がいるのです。もちろんこれ以外にも、求められるもの選ばれることはその振付家・そのプロジェクト・その目的で本当に千差万別です。
一度合格と言われたのは、面接のとき「この歳になってしまってはいるが、振付家に寄り添えるダンサーになりたいと思っている」という気持ちを主催者と振付家に伝えたからだったと思います。ぎりぎりのラインだが踊りに真摯に向き合っている、と受け止めてもらえたのだろうと思います。
合格が取り消されたのは、(これが完全にアウトだったわけですが、)面接のときに
「本番までに舞台の予定はありますか?」
の質問にきちんと答えていなかったからです。
今思い返すと、彼(振付家)は、最初に「スケジュールをちゃんと組んで提示して、それに合わせられるかを重要視している」といった意味のことを話されていました。その方としては、「リハーサルに出ることができる」という意味だけではなく「リハーサルの最中に本番があればそれは僕としてはそういうダンサーは避けたい。」という意味も込められていたそうです。
私はその言葉の意味を理解できていませんでした。
私はリハーサルに出ることができるように、合格が決まれば教えの仕事を変わってもらったり、休みにしたりしなければということで頭がいっぱいでリハーサル日程をどう調整するかは答えたものの、9月、10月にある本番についてを伝えませんでした。この時点で、10月の岡山での公演に出演するため1回リハーサルを休まなければならないことが分かっていました。それを伝えていなかったことは大きな問題でしたがそのときは気づくことができず。そしてさらに、オーディション・面接後の合格通知が来る直前に11月の舞台出演の話が来て、リハーサルをまたさらに1回休まなければいけなくなりました。
・・・「舞台出演のためならリハーサルを休んでしまうことは仕方がない」と、許されるだろうという甘い考えがありました。このあたりが、振付家の思いまったく無視した自己中心的な考えですよね。ダンサーとしてあるまじき、振付家に対して大変失礼な姿勢でした。
主催側に合格通知が来た後に2回分の欠席を連絡したところ「話が違う」ということになり、その振付家から直接電話がありました。そこで『本番がこれだけ重なっていると無理だと思う。そして意図的ではなかったにしろ面接のときと話が違うというのは問題。審議をし直します。』と伝えられました。
この時点で、振付家からは20番と21番(補欠)は入れ替わるだろう、とは言われていました。ですが、その後届いた通知は「合格取り消し」でした。・・・補欠にも入れなかった。
補欠として入って、舞台には出れないまでも、クリエイションやリハーサルに参加して、いろいろなことを学ぼうという意欲満々でした。でも、そのリハーサルにも参加できない。
物事を予測したり計画的に逆算して考えること、相手の意図を汲み取ることなど、当たり前のレベルが抜け落ちていることが本当によくあります。でも、言い訳癖、怠け癖、甘え癖がついてしまっていました。それが、すべて。
姿勢も、性格も、習慣も。
すべて踊りに出る。
私はなんて自己中心的なんだろう、と。
いつもソロばかり踊っていて、こんなんじゃだめだ、
もっと人とうまく合わせられるようになりたい、ならなきゃと思いつつも、結局いつも周りに合わせてもらっている。
変われないのか。
変わろうとしていないのか。
寄り添う姿勢が、私にはないのか。
ワークショップでも正直毎回感じていました。
相手を受け入れることや自分の意思表示をうまくできること、初歩的なコミュニケーションでもうまく相手と噛み合えない。どうしたら、いつになったらできるようになるのだろう、と。
・・・そもそもその部分ができていれば20番目ではなかったわけで。
自分に落胆しました。
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こうした自分の能力の低さを
踊りを通して
踊りの世界にいることで
経験し、成長し、改善させてきました。
でもいまだにある、自分の本質的な【甘さ】と【弱さ】。
この作品に出ることで少しでもまた自分を成長させられたらと、きっと成長するだろうと思っており楽しみだっただけに、結構ショックが大きくて。Facebookを開くも友達の投稿を見たくない。開いていた心を閉ざして殻に閉じこもりたくてしょうがなくなっている。
もっと
踊りに真摯に向き合わなければ
人にも真摯に向き合って
生徒にも真摯に向き合って
物事にも真摯に向き合って
ちゃんと働かなくちゃ
しっかり自分を律しなくては
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振付家からの電話があったのは日曜の夜。
その次の日、月曜日は7月27日本番の「みづうみ」のリハーサルがありました。
リハーサルに向かいながら、心の在り様、身体の在り様はいつもの少し違っていて
「あぁ、ショックを受けているな」と感じていました。
でもショックなことがあろうが今私が向かうべきは27日の作品なのであって、
そのための【身体づくり】と【感覚の積み上げ】と重ねなければならないのです。
「この作品に対して自分ができることはもっとある、それをしていない、そんな自分から変わらなければならない、ダンサーとして身を投じることができていない。ほかのダンサーたちを見習え!」
そんな思いがこのところより強まっていました。
そしてこの心身の微妙な感じが少し異なる領域に連れて行ってくれて、この日はいつもとは違う何かがありました。
他のメンバーそれぞれの具合もあったでしょうが良い通しが出来ました。
全体に【一体感】がありました。
私は「自分を出せた」のではありません。
むしろ「自分を出さない」感覚でいました。
それでいて「身体を動かすこと」に集中していました。
ショックを受けたことによる「感情が動かない」モード。
そうか、こういうことなのか、、、と何かわかった気がしました。
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「合格を取り消します。」
その通知が教えのクラスの直前に届きました。
教えに向かう途中、なんとも言えない感情に襲われました。
胸に手を当て、深呼吸。
教えを終えて帰宅し、今回のこの事実を回想して、ぽろぽろと涙が出ました。
女々しい泣き方をするな。
男らしくしっかりしろ!という言葉が頭をよぎる。
そしてこんな感覚も、また芸の肥やしにしようと目論む自分もいて。
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私は舞台に出演して、何がしたかったのか
―学びたかったー
じゃあ、学ぶ場所は他にもあるじゃないか
いろんなクラスを受けに行ったりすればいい
まだ触れたことのない振付家はたくさんいる
まだ知らない世界がたくさんある
自分がやるべきこと、やれること、
自分が本当に向き合わなければならないことは他にもある
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踊りに大事な「質感」や「空気感」。
それはそう簡単に得られるものではなく、積み重ねられていくもの。
しかも群舞ともなれば、それを“合わせていく”ことはより繊細な作業になっていきます。
全員がリハーサルでそろうことはもちろんのこと、
1人1人がその質感をリハーサルに持ってくることでしか、全員が揃うその場でしか積み上げることができないときに、
1人のダンサーが違う場所で違う身体になってしまって、毎回違う質感を持ち込むとする
1人でもそういうダンサーがいれば振付家の見たい風景は見れないし、
ダンサーとしてもその作品の一部になれないし、
作品に一体感を生み出すことが出来なくなる。
ダンサーが舞台を掛け持つことはよくある話。
でも、舞台一つ一つが希薄になってしまう恐れがある。
今回の振付家はご自身の経験からも同時期に複数の舞台を重ねることの難しさを感じておられて、そうなってしまう恐れのあるダンサーは入れたくないという気持ちはすごくよく理解できるし、「みづうみ」のリハーサルを通して現在進行形でその大切さを身に染みて感じているところでした。
踊りは、作品は、ナマモノで繊細。
大きなこだわりのもとで集められ、鍛えあげられたダンサーたちによる舞台は素晴らしいものになるに違いありませんよね。観に行きたいと思っています。また、私以外の多くの人にも観に行ってもらいたいと思います。
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今回の落選は大きな気づきを得る機会となりました。
今向き合っている「みづうみ」にとっても。
居住地がリハーサル場所から遠いことと教えの仕事を持っていることから、私は他の人よりリハーサルに参加できておらず作者の瑠璃さんにもダンサーにも本当に迷惑をかけてしまっています。
あぁ申し訳ない、いろんなところで、いろんな人に、私は本当に、何をしてるんだと、
そう思うなら初めからもっとちゃんとしろよと、なんていつも中途半端な人間なんだと、
いろんな自分がいろんな声を発しています。
行動で答える。
結果を出す。
私の問題は踊りの世界だからとかそういうことではなく、人として当たり前の部分の問題。
しっかりしろ。
・・・しっかりします。
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楽しみにしてくださっていた方々には申し訳ありません。
こんな私ですが
今後とも西園美彌をよろしくお願いいたします。