最終日も無事に終わりました。
5回公演であることの意味の大きさは、踊りながら作品を理解していくということを経験できること。自分の納得のいく踊り方を模索し理解していくプロセスは尊いものだと思います。
3日目は2日目までとモードが変わった(変えた)ので思い出しながら書いていると、思いの外、時間がかかり。
最終日はまた大きな学びの一日となりました。
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2日目の夜、ブログを更新した後で、清水先生と語り合う時間がありました。(私たちはダンサー、衣装さん、美術さんとみんなで一軒家に泊まっていました。)
私はいろんな人に
「どうだった?」と聞いてしまうんです。それを先生は
「もう人に聞くなって」とおっしゃるんですね。「自分に自信を持て」と。
…作品の中で自分がどう存在しているか、自分で感じていることにいつも自信が持てない私です。本当はその難しさと向き合わなければならないし、ダンサーはみんなちゃんと行なっている。なのに、私はすぐ人を頼ってしまう。
なぜいつまでも自信が持てないか、それは、自分としては考えてやっていることがあるけれど、作品の理解において見当違いなことが多いのです。それは社会人として生きている中でもたびたびあり、なぜ自分はこう普通のことも考えられないのだろうも落胆してばかりいます。
それも先生に伝えると「うん、確かに美彌はそういうこと(見当違いなことを考えてる)よくある」と。やはり。
失敗の量の少なさ、経験不足です。しかしながらこの判断力のなさや見当違いなところは小学生の頃から感じてきたものです。この歳になっても微々たる成長であることが哀しくなります。でも諦めたり放棄してしまったら、きっとそこで私の成長は止まってしまう。…だから諦めてはいけない。
清水先生との話は続きます。
「美彌と良いところは"貫いている"ところだよ」
…先生から言われてハッとしました。そういえば最近貫くということをしなくなってたなと。身体の面でも精神の面でも、固めないように頑なにならないようにと努めていました。
でもそれによって私の長所が隠れてしまい、芯のなさ、所在のなさがあったかもしれません。そう思って、3日目は芯を入れてみました。…入れすぎないように注意しつつ。
私の芯は揺るがないという良い面もあれば、他と頑なに交わらないという短所も出てきてしまいます。この短所は群舞作品の場合には一体感が生まれず作品の世界観が観客に伝わりにくくなってしまいます。
でも芯が通っていなければ軸がブレてしまい踊りの質を下げてしまう。さらにその力みが地面へのベクトルを小さくしてしまう。…自分のよくない方向に向かっていることに気づくこと、ハイになっていく時にでも冷静になれるのが、プロなのだろうなと。自分はまだまだですね。
清水先生がここまで話してくれることは初めてくらいだったと思います。大変有り難いことでした。
3日目の朝、浮かんだ言葉は「根」。
昨夜の言葉(先生の言葉や自分の想い)を手帳に書いて頭を整理して、劇場にに臨みました。
・8割の力で…いや6割くらいやろう
・デュオでは相手を引き立てるように
・周りに溶け込んで
・見えない存在に体を動かしてもらおう
そんな感覚でやってみました。
すると「そのくらいの抜き加減がいいな」と言ってもらえて。少しホッとしました。
….でもこの「力の抜き方」、ドカーン!と出してから実行に移さなければ、"ただの人"になりかねないものなので、今回1〜3公演で徐々に上がっていっていたこのタイミングがベストだったのだろうなと思います。
「踊るときに大切なことは自分の満足感」とは言うけれど、私ようなタイプはそればかりでは良くないかな。
(自分の満足感を求めることで最高のパフォーマンスが得られる人もいるだろうと思います)
つまり次への自分のために必要なことは、日頃からもっとドカーン!という力を出していけばいいってことです。そうします。
私の性格も体も踊りも、いつもイタチごっこ。でもこうして気づきを得られることが有意義で、生きてるなっていう心地がします。
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昼公演(4公演目)、夜公演(千秋楽)、
良かったのではないかと!
新メンバーで創られた東京チーム3人の作品、この日は空気が違いました。
美術さんの言葉が嬉しかったです。
「同じ動きを『1秒』で伸ばすのと
『1000分の1000秒』で伸ばすのとは違うんだよね」
質の違いについての分かりやすい表現ですね。ゲストとして出演しているからには、そうでなければ。とはいえホッとしました。
あるお客様の一言も印象的でした。
「この舞台は音楽も照明も踊ってたね」
素敵な表現。本当に、清水フミヒト作「Water Flow」はそんな世界観です。
さて、最終日には去年の公演を観に来て再び来てくださった方にお褒めの言葉をいただきました。目立ってたから覚えていたとおっしゃっていたその方の感じた私の踊りは、
「躍動感と、丁寧さ」
とのこと。
最前列のど真ん中でご覧になったそうで、
「近くで見るとアラが見えるものだが、アラじゃなくて丁寧さが見えた」
とのこと。
嬉しい(*´-`)
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さて勝手に
清水フミヒト語録。
「ダンサーを作品にはめるのはしたくない」
「一緒に育てていく、いける人とやる感覚でいきたいなぁ」
人と共に創る
人と共に生きる
清水先生の、どこまでも繊細で優しさに溢れた空間にいさせてもらえていることを、出演者、関係者全員が感じているのでは。
「後処理がすごいやつがすごい」
…なにごとにおいてもそうですよね。
「(振付家にとってやりやすいとはダンサーとは)自分の"やりたい"をまず出すのではなく振付家の欲しい空間を第一に考えた上でのアイデアや意見を出してくれる人」
行動としても取り組む姿勢としても。
自分の心地の良い感覚をまず考えてしまう私は、自分の踊りにばかり意識がいってしまう余裕がないダンサーだし、まだまだ周りが見えてない(見るつもりがない?)浅い人間なのだろうなぁと、自分を褒める気持ちと同数の反省の念が次々に沸き起こりました。
札幌へ向けてリアルタイムでブログを書いていたのは、観客席を満席にしたかったから。札幌に知り合いは少ないけれど、一人でもピンと来た方に繋がることができればという思いで。でもやはり意識がそちらに向かい気づかぬうちに揺らいでしまっていたかもしれないです。目指すはブログを更新しつつ(外に意識を向けつつ)も自分軸は揺るがさずいつも春の風が吹いているような余裕な心地でいること、ですね。
ただ実際、2日目の夜、清水先生に言われた言葉にハッとして、「これでいこう」という置きどころが出来たあとからストーンとどこかに・なにかに入った心地がしました。
するとブログを書くための言葉はなにも出てこなくなって。舞台に集中しないでブレていたつもりはないけれど、その心地は1日目2日目とは次元の違いがありました。
どんなときもコレという正解はない。
同じ瞬間というものもきっとなくて、その時はそれが心地が良い、その方が自分にとってもこの舞台にとってベスト、というものに私はいつも向かっています。
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一緒に組む相手に指摘されたこと。
過去に本番に力が入りすぎてコケたことがありました。(そういう振りとしてごまかした笑)
その時それを見ていた方から「美彌ちゃんはこれからその力の抜き加減を学んでいくんだろうね。」と言われて、それ以来そういう失敗はしてませんが、
今回男性と組むシーンがあり、本番に彼の脇に乗るところで私も脇で彼に乗るのですが、「美彌さん、力強いから肋が折れるかと思いました笑」と言われてしまい、また自分の感覚優先で踊っていたんだと大いに反省したのでした。
相手に対しての身体の預け方とか、呼吸の合わせ方とか、それもすべて私の人間性であって。
…男性の肋が折れなくて良かった…(笑)他にも反省点がいっぱい。それらは岡山に繋げたいと思います。先日すで岡山へ向けてのリハがあり、そのシーンの練習をしてコツが分かりました!
いつも優しく楽しいリハーサルをしてくれる、もえみちゃん、ひろとくんに感謝なのです。
(終演後の一コマ)
岡山は野外。岡山ではさらに3人増えて臨みます。また感覚を合わせていくことを楽しみたいと思います!