必要な欲求(火と水)と

必要な努力(行動と犠牲)と

必要な謙虚さ(謙遜ではなく)

とのバランスが難しく感じる。

人の間に生きる人間でもあるし、天と地の間に生きる人間でもあるから、どの次元にいたいのかは自分が決めなければならないものの、その責任や事実と向き合うことを時々放棄したくなってしまう。

 

 

今しかできないことがある。

出し切って、疲れて、休んでは立て直し、、その繰り返し。それをつまらない人生というのか謳歌しているというのか、それもまた自分自身。

 

今のような立場になって様々な方とお会いするたびに思うのは、相手の中に見る自分自身。

その時々で体調も感覚も違い、どのような深さと広さで"それ"を見るのことになるかは予測できない。"それ"は相手と対峙しているその時に想うことではなく、「後から/よく考えてみたら…」という様子でやってくる。

そんな自分を受け止める修行をしているかのようだ。

 

 

私の人生の課題は「心の解放」であり、その上で「寛容と忍耐」「不言実行」が鍵になってくる(と思っている)。

得意なことと不得意なこと、両者があって私であること、それ以外にも私を構成しているものたちへ、感性を磨いていく必要がありそうだ。