双龍×舞踊家西園美彌のコラボ舞台「和の心〜世界へ、未来へ!〜」、つくばカピオにて盛会のうち幕を下ろしました。

来場者数140名!

昨年の西園美彌講演会を上回る来場者数でホッと胸を撫で下ろしました。

3月30日(金)の夜という年度末のお忙しい中、ご来場くださった方々ありがとうございました。

年度末ということで残念ながら来れなかったという方も応援してくださりありがとうございました。また、遠方から応援してくださった方、クラウドファンディングにご協力くださった方、今回も大変多くの方にサポートいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

裏方として動いてくれた知人友人生徒(!)も。少数先鋭で、至らない部分の多い私たちをサポートしてくれて本当にありがとうございました。

 

 

双龍(ツインズドラゴン)の黒田朋樹さん(赤)、昌樹さん(青)。
彼らの魅力、お客様に届いたでしょうか。

彼らの十八番芸を見せる盛り沢山の内容でした。映像も動きもストーリーもすべて彼らが生み出したもの。そして息の合った双子芸。シンクロの仕方はさすが!

リハーサルで見せてもらいましたが、とにかく面白くて。

エンターテイメントってこういうことだなぁと。

彼ら、あのまんまの喧嘩をします(笑)それも見てても面白くて(笑)
その姿は10年前と変わらないわけで。だから彼らは歳とらないんだろうなと思いました。

 

 

コラボ作品、楽しんでいただけていたら嬉しいです。私はやっていて楽しかった!映像とタイミングを合わせるのって結構難しいんです。呼吸や間が。

後ろの映像は影ではありせん。ポーズの形とタイミング、しっかりシンクロ!

「美彌さんソロのあとの、コラボ作品への変身ぶりがすごかった」(←うん、キャラがまったく違うから(笑)私やっぱり悪役楽しいから違うかたちで生き生きしてたんじゃないかな!(笑))

 

映像の私と生身の私、両方から攻撃を受けているシーン。彼らは当日まで、映像に細かく手を入れ、タイミングを微調整し、拘り抜いていました。

 

 

彼らとこのタイミングでコラボできたことは本当に大きかったです。というのも、こんなに前しか向いてない人間、自分のやりたいことをやり抜く実行力、こだわりを貫く姿勢、人を巻き込む力etc...

こんな人たち、なかなかいません!!しかも双子ですから希少価値高い(笑)

本当に素敵な彼らの姿を見れて良いエネルギーをもらいました。彼らといると勝手にポジティブになってしまいます。だからこそ多くの場から信頼を得ており、スポンサーがつき、協賛が集まり、夢と希望を与える場(仕事)がどんどん生まれていっているのだなと思いました。

今後も彼らの活躍にご注目ください!

双龍(ツインズドラゴン)Webサイト→(https://tam-p.jp/ninja/

朋樹さん昌樹さん、本当にありがとう。

 

-------------------

 

さて、今回の私の新作ソロ「頷く瞳」。(舞台写真はコチラにアップしています

・次の作品は緑だ
・日本人のつくった音楽(2曲目)を使おう
・自分の中に答えがある、それを探せ
・苦しまない、頑張らない…苦しみは観客に伝わってしまうから
・神様は見ている、見守ってくれている

瞳とは、神様の瞳です。

 

和の心、という舞台のコンセプトとしても通じるものがあり、無理やり近づけたわけではなく私が現時点で見ているもの/感じているもの/予感が一致したという感じ。

日本には昔から「お天道様(おてんとさま)が見てるよ」ということがありますし、「すべてのものには神が宿っている」「八百万の神様」など染み付いている文化や宗教観があります。
私は森、山、海、それらを見ているといつも、見守られているんだなぁという感謝の念に包み込まれます。それは留学から帰国後さらに強く感じるようになりました。

ヨーロッパの自然・建造物・人々を見て、世界レベルの壮大なスケールを見てすごいなぁと感じましたが、日本に帰ってくると留学前とは違う感覚になっておあり、日本に対し文化も自然も社会も、多面体での理解そのものが拡張していて密度も濃くなっているという変化がありました。

いつか作品にできたらと思っていましたが、こうして機会を得たのでした。

頷く瞳の種(コンセプト)はそういう部分でしたが、一方で肉付き(振付)はどんな動きもどんな仕草もその一手にどんな人生観と願いを込めるのかにかかってくるのですが(私の場合は)、

これは時々刻々と変容していくため捕まえることが難しくて難しくて。満ちるまで待つんです。満ちるまで、本当に時間がかかるんです(このブログを書くのに2か月かかったように)。

 

始めは漠然としたもの、緑色は見えていたのですが、タイトルが頷く瞳になるまでは違うタイトルだったし、衣装デザインも違いました。

衣装さんとミーティングを重ねながら、同時並行での撮影があったり、

直島写真(コチラにアップしています)

様々なことが作品に影響を与えていきました。

 

音楽は4曲構成だったのを1曲のみ残して新たな曲を追加して最終的には2曲構成に。

動画を見直してなんだが自分の描く空気感と音楽がちぐはぐな感じがしていたので探しなおしたら、ピタッと波長が合う音楽が見つかりました。たいてい私は導入部分で決まります。

 

私はとにかく悩み、沈み込むのですが、最終的にはそれがエネルギーや材料となって作品に息吹を与えるようです(公演後に友人にそう言われたのですが、確かに!と思いました。そしてそういえば毎回言ってる気がする・・・笑)

自分が見えなくなる、一寸先は闇…生きている実感があるのかないのか分からなくなることもしばしば。

今回は過去最高にあまりに悩みすぎてもはや「無」でした。私の作品づくりはそんな「無」になったときに降りてくる直感をかき集めていく、そんな作業でした。焦る気持ち、不安な気持ち、自分と向き合わなくてはならない時間・・・終わってみれば、その時間に自分は成長しているのでしょう。

 

この公演の一週間前には「体 -Tai-」がありました。

「体-Tai-」は大群舞。ダンサーの身体は振付家や作品の意図を伝えるための媒体。

 

途中から自分の作品も同じだということに気が付いて、身体という容れ物に「頷く瞳」(西園美彌)を流し込めば良いんだ、と。だから身体はとにかく整えておこう、と。今回の作品への取り組み方を決めました。

自分は初めから自分なのに、西園美彌という自分を流し込むっておかしいですね。でもなんとなくそんな感じなのです。

本番中は以下のような感覚の中にいたように思います。

・イメージを体の中に漂わせておく。
・ときどき意志/決意を持つ…「私は舞踊家西園美彌だ」と。
・呼吸をする
・今ココに集中する
・空間すべてにリンクする

脳主導じゃなくて体主導。脳は後追いです。だから考えて動いてはないと思います。

 

そんな自分になれるのは、“舞台”という集中した空間、照明があり多くの観客の意識が集まる空間だからこそと思います。

 

本番では不思議な体験をしました。黒田さんたちが湧かせてくれた舞台上が、私が出てきた瞬間に、スッ…と空気が変わりました。

(…あれ?たくさん小学生がいたはずだしさっきまであんなにザワザワしていたのに…)

照明がつく。

(…うわー、めちゃめちゃいいお客様だ〜、うわー、綺麗な空気〜…)

そして幸せを感じながらあっという間に終わりました。

実はこのような感覚ははじめてではないです。そして今回同じことをお客様の多くが感じたとのこと。

 

15分のソロでしたが、「もっと見ていたかった」と言っていただけました。

・美彌先生の踊りが変わった。
・さらにしなやかになっていた。
・表情が変わった。これまでになく優しさがあった。
・痩せたのに力強くなっていた。
・「体-Tai-」から切り替え、別人だった。
・踊りを見て泣いたことなんて無いのに、涙が止まらなくなった。

他にもたくさんの感想をいただきました。

私の踊りを長年見てくださっている方々は、「どんどん進化していく姿に、人ってこんなにも変われるんだと、本当に毎回驚いています」と言ってくださいます。

踊りを観たことのない方々に踊りの世界を、人間の身体の可能性と神秘を、また生きる希望や勇気を与えられる、そんな存在になれたら舞踊家として本望です。

 

写真から伝わるものはあるでしょうか・・・。舞台の、なまの演技を観ないと、その場にいた人にしか共有できないものがある・・・そんな風になってきました。

 

過去最高に悩んだ作品は過去最高の作品に。“最高”って、測れないですけど。

見てくれている方々の中には私の変化を見て「前の方が好きだった」という方もいるかなと思います。そのような方々には申し訳ないですが、これが私の今なのです。

 

これまでの経緯と人生が踊りに、作品にと繋がっていきます。

人は食べたもので体が作られ、何を意図して動いたかで筋肉が育ち、感じたとこや考えたことが瞳に映り、そのフィルターを通して感性が生まれるもの。

こうして文書にすると、食べるものも使う言葉も自分の心の声もさまざまなものに注意を払っている自分に気が付きました。まとめえることができてよかったです。

 

2ヶ月経ってのご報告となりましたが、最後までお読みくださってありがとうございました。

自分の可能性に賭けて、これからも精進したいと思います。